のっぽのブログ 2023/9
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はやい所では
投稿日時:2023/09/28(木) 22:12
そういう時期ですね
北海道・東北は積雪の前に
花園出場高校を決めるべく
準決勝・決勝が行われます
勝ち負けはら当然、スポーツだからついてくる
そこで悔いを残さず
出し切って次につなげてほしい
その上で勝つことができたらGOOD
コリジョンのスポーツなので
・・・・・・・・・・・・・・・
なぜラグビーをしているか2
投稿日時:2023/09/27(水) 18:28
どうもAです
1つ前の続きから
釜石SW入団させていただき
また、ラグビーに対する取り組み方を学んだ
「恩送り」
今まで諸先輩からいただいた「恩」は後輩へ
「環境が整っていなくても、やれることはある」
どんなに素晴らしい環境でも、知恵・工夫を絞り出せばどうにかなる
「次のプレー」
ミスは取り返せないので、次のプレーをしっかりやろう
その他いっぱい学ぶことが多い時代でした
その経験を経て、30歳になるときに高校の教員採用試験にパスし
高校の指導者としてのスタートを切る
奥州市の高校では
部員7名くらいからのスタートで、最後は35名くらいまで部員が増え勝たせてあげることは
できなかったですが、ワイワイと
釜石の高校でも、7人制くらいの部員数から23名くらいまで
北上の高校では、全国を経験させていただいたり
すべての指導にあるのは、釜石SWで学んだことが根本としてあり
それに、東北各地の指導者・全国の指導者から学ぶ機会があり
+αしながら現在進行形で進化
なぜラグビーやっているの?って質問されると
釜石人で、ラグビーから「恩」をたくさんの人からいただいたから「恩送り」しなければかな
なぜラグビーをしているか
投稿日時:2023/09/26(火) 18:15
なぜ自分はラグビーをしているのか
答えは
1979年から7年間
新日鉄釜石ラグビー部を見てたから
最初のうちは、強引に父親に連れられて練習を見ていたような気が
1980年代になると自分自身も小学生になっており
毎年1月15日は、ルールもわからず、国立競技場にいって応援を
していました
それも、貸し切りバスで釜石から東京まで、その当時は
道も今ほどよくなく、長い時間バスに乗っていた記憶があります
それも、周りは大人で多少どころかかなり飲んでいる大人の方もいて
宴会のような感じで東京へ
当時釜石では身近なスポーツが野球かラグビーかくらい盛り上がっていたので
自分は、小学生の時、野球をしていたのでアップにランパスがあったり楕円に触れる機会が多かった
中学時の中総合体育大会で野球を卒業し、ラグビースクール入門をする
初めて行ったラグビーの練習は「タックル」でした
タックルダミーにひたすらタックルする、肩の当て方、腰の位置、足の運びかたなど、情報量が多く
うまくできなかった思い出が、
それでも、地元高校でも、八戸の大学でも、就職して地元釜石のOBチームでも、
そんなこんなで地元でプレーしていると、その当時は岩手県内から寄せ集めの国体のメンバーになり
仲間が優秀なラガーマンが多く高知国体3位という、近年最高の成績をいただきました。
そこから釜石SWへの入団まで進むのですが・・・・・・
今日はこの辺で、後編に続く
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