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RUGBYバカ一代

クラブラグビー回顧Ⅳ…

投稿日時:2009/03/06(金) 21:04

県民FINAL進出以降、下降線をたどった。キャプテンシーがありプレーにも幅が出てきたT地の転勤や生粋のウィンガー金野の地元就職など・・・。これからピークを迎えるメンバーが抜けるのだから大きな戦力ダウンだった。

だから年にひとり、ふたり加入するメンバーはとても貴重だった。将来有望と思われる高校生に声かけしていたので毎年最低ひとりの新入部員は辛うじて確保出来た(ショーンもそうだったな)

そういえば外人メンバーもいた。オタゴ出身トニーというニュージーランダー、酔っ払い運転でたんぼに突っ込むような飲み会好きの不良外人!?プレーの実力はさておき、さすが母国NZだけにラグビーが大好きな奴で当時オールブラックスのジェフウィルソンは先輩だとすごく自慢してた。(メンバーのT地はウィルソンのサイン入りジャージをもらった)変な日本語をたくさん教えて帰ったけど今どうしているかな??

リーグ戦では全敗はなくても真ん中から下の時期が続く。県民もAとBをいったりきたり…。なかなか思うような戦いが出来ず正直苦しかった。しかし少ないメンバーの中、公式戦の棄権が一度もなかったのがせめてもの救いだった。

秋工出身K田には重宝した。フッカー、フランカー、スクラムハーフ、センター、ウイングなどのマルチぶり!決して脚は早くないが不思議と抜ける(反面ノッコンも多し)。やっぱマルチプレーヤーは必要かなと。そうシゲのフッカーや宮さんのウイングもあった。いつもギリギリ、15人キッチリで試合に臨んだ事も何度もあった。



そんな中、水沢クラブは一気に若返りが進み、核になる選手が現れ自力のあるチームになっていた。そんな同じ地域同士の対戦はとても楽しみだった。県リーグにはブラックスの後から水沢クラブ、マックローズが参戦。気が付けばマックローズは抜けていたし、水沢に県リーグ参戦チームが2チームいる事自体異質だったと言えよう。

※写真はTONYのオタゴの先輩 J・ウィルソン

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